日蓮宗の教え・葬儀・焼香のマナー・仏壇の選び方

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日蓮宗とは

日蓮宗と聞くとどんなイメージを持つでしょうか。日蓮宗は、鎌倉時代の1253年に開祖である日蓮(にちれん)が、開宗し、主に下級武士や農民から支持されてきました。法華経が教義のベースとなっているため、かつては「天台法華宗」と区別するめに「日蓮法華宗」と称されていたこともありました。 ここでは、日蓮宗について、開祖日蓮の生涯、その教えである法華経、そして葬儀や仏壇にまつわる日蓮宗のマナーなどを解説します。

日蓮の生立ち

開祖である日蓮は、安房国(あわのくに=現在の千葉県安房郡)の漁村で生まれ、善日丸(ぜんにちまる)と名付けられました。日蓮が生きたこの鎌倉時代は、相次ぐ天災や疫病に飢饉などが蔓延する中、朝廷と幕府、そして比叡山をはじめとする多くの宗派が権力争いをする混沌とした時代でした。まるで生き地獄の様な世の中に、多くの民衆は現世での幸せを諦める様になり、人々の間では念仏や浄土思想が支持されていました。 日蓮は、「日本には沢山の仏教宗派が存在していながら、なぜ世の中がこんなに乱れているのか」という疑問から、仏への道を志します。 そして12歳で清澄山に上り「薬王丸」と名乗り、16歳で正式に出家し、是生房蓮長(ぜしょうぼうれんちょう)の名を授けられ、比叡山での修行で「釈迦の教えは法華経にある」と確信して、32歳のとき「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えて立教改宗します。これが日蓮宗の始まりとされています。

苦難に満ちた日蓮の生涯

しかし、日蓮の生い立ちは、まさに苦難の連続でした。人々が救われるためには「国をあげて法華経を広めるべし」と、幕府のあった鎌倉へ出向き辻説法(道端で出会った人に説法をすること)を繰り広げ、さらには、正法、つまり法華経に従わなければ国が亡ぶと憂い、幕府へ自著「立正安国論」を呈上しますが、幕府はおろか、他宗派からも弾圧を受け、日蓮の主張が聞き入られることはありませんでした。 それどころか、幕府は日蓮を「人々を惑わす危険思想を持つ人物」とし、伊豆へと流罪に処されるのでした。 やがて伊豆での流罪から解放された日蓮は、それでも諦めることなく再び幕府に対して「立正安国論」を呈上しますが、「危険な思想家だ」と、幕府の逆鱗に触れ、斬首の刑に処すべく江ノ島の処刑場へと連れていかれますが、日蓮を擁護する比叡山での師や日蓮を支持する幕府側の人間からの嘆願など、様々な人の働きかけに救われ、その難を逃れます。これが有名な「龍口法難」と呼ばれるものです。 幕府が日蓮に対して最終的に下した裁きは「佐渡への流罪」でしたが、このとき日蓮はすでに50歳という年齢となっており、佐渡への流罪は、事実上の死を意味していましたが、それでも約2年半の流罪を終え、幕府からの不当な扱いは緩和されましたが、その後、山梨県にある身延山(みのぶさん)にて1282年の入滅までその余生を送りました。

日蓮宗の教え

日蓮宗の教義は、「法華経」と「題目唱和」です。法華経は、釈迦入滅後のインド原始仏教から生まれた大乗仏教の経典の一つで、釈迦の重要な教えがまとめられた経典です。 浄土宗や浄土真宗などでは「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えれば極楽浄土へ行けるという教えでしたが、日蓮宗では、生きている内に「南無妙法蓮華経」という題目を唱えれば、即身成仏できるという考え方です。 因みに、ここでいう題目は法華経の正式名称である「法蓮華経」を指し、これに「帰依します」という意味の「南無」を付けた題目が「南無妙法蓮華経」となります。 この「南無妙法蓮華経」という「題目」を「唱える」ことで「成仏」できるという教えが「唱題成仏(しょうだいじょうぶつ)」です。 釈迦が悟りを開いてから入滅するまでの45年間に説かれた全てのお経を「一切経」といいますが、日蓮宗の教えで特徴的なのは、仏教でありならがら、教えの根拠として一切経を一つも用いていない点です。 基本的にどの宗派の教義も、釈迦の説いた経典の中にその根拠となる内容が書かれていますが、全ての一切経を探しても「南無妙法蓮華経」や「唱題成仏」を指す言葉は見つかっていないとされています。

日蓮宗で読まれるお経の特徴

日蓮宗で読まれるお経は、殆どの場合「法華経」がメインとなりますが、現代の葬儀では、僧侶による読経の後、参列者全員で「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えるのが一般的です。 法華経は、インドの霊鷲山(りょうじゅせん)で釈迦が入滅するにあたって弟子たちに説いた内容が記されており、正式名称「妙法蓮華経」とされ、釈迦の入滅後500年経過した時期に弟子たちによって書かれた経典で、原典はサンスクリット語になります。 日蓮宗が拠り所とする法華経は、最澄が唐の中国天台宗による法華経を持ち帰って天台法華宗を開き、それを天台宗の僧侶であった日蓮が独自解釈を加えて完成したものです。 また、「日本書紀」に「聖徳太子が法華経を講じた」という記載があったことから、日本には飛鳥時代から法華経が伝わっていたことになりますが、上述の「天台法華」とはルーツが異なります。 日蓮宗における法華経の中心は、「方便品」です。ここでいう「方便」は、真実へと導くための手段という意味で、世間一般には「嘘も方便」という言葉があるためか、何故か「法華経以外は方便」=「嘘」という間違った認識をされることが少なくありませんが、正しくは「真実に導くために必要なこと」を指します。

日蓮宗の焼香マナー

日蓮宗葬儀の最大の特徴は、僧侶だけでなく参列者全員でお経を読み上げ、題目を唱える点です。初めて日蓮宗の葬儀に参列する方は、この事を知っていれば慌てることなく済むでしょう。 焼香は、僧侶による法華経の読経が終了した後に行われる「南無妙法蓮華経」の唱題の最中に、行われます。焼香のマナーとしては、合掌・一礼し、右手の親指・人差し指でお香を「焼香盆」からひとつまみ取り、「火種」に振りかけます。正式な回数としては3回とされていますが、特に一般参列者の場合は、1回から3回の間で自由です。そして焼香を終えたあと、合掌、一礼して席へと戻ります。また、日蓮宗では、合掌を重んじるため、焼香の際にも重視されます。

仏壇の選び方やお供え物について

仏壇の選び方について、日蓮宗では、金仏壇でなければ、どのタイプの仏壇でも問題ありません。本仏壇、卓上タイプ、家具の上に設置する上置仏壇など、それぞれの家庭の事情に合った仏壇を選びましょう。 また、仏壇の向き・方角についても特に決まりはありませんが、湿気や直射日光を避けるなどの配慮は必要です。また、お供え物はお参りする私達の側に向けてお供します。これは、「私たちから仏様へ」ではなく「仏様から私達に下される物」とされているためです。

まとめ

波乱万丈の生涯を送った日蓮が開いた日蓮宗について解説してきました。日蓮宗の葬儀で は「お題目を唱える」という光景が特徴的ですが、日蓮の教えについて知識を得たことで、 日蓮宗への理解がより深められたかと思います。葬儀の参列時にも、新しい発見があるか もしれません。

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